おはようございます。前回は面談相手に期待を告げる上での指導者側の心理的盲点の1つをご紹介しました。それは「あえて言わなくても分かってくれているだろう」と思い込んでしまうというものでした。これは一見すると表面的なもので「次からは言い忘れないように気を付ける」とすればすぐに解決できるように思います。しかし実はこの盲点の根源はもっと深いところにあります。この根源を理解することがこれからの指導者には(ぜひ吹奏楽指導者にも!)必要になってくると思いますので今日はその辺りをご紹介していきたいと思います。

【認知の限界】という言葉をお聞きになったことはありますでしょうか?これは簡単に言えば「自身の行動や言動が相手に及ぼす悪影響について認知できにくい」というもので主にネガティブな事象の心理として使われています。例えば雨の日の満員電車の中自分の前に背を向けて立っている方がいます。その方の傘は濡れたままひもで縛っていないので、その傘が自分の服に触れてしまいとても不快な想いをしています。でも目の前の方は全く気付いてもいません。そして自分はイライラしているのですが、実はその自分が背負っているバックが自分の背中越しの方の顔に当たっていて後ろの方は自分にイライラしていることに自分は全く気付いていない。といった現象です。

つまり「自分が受けた影響は強く認知するが、自分が与えた影響に関しては認知しにくい」という現象をいいます。現在様々な業界・会社で問題になっている「パワハラ」は正にこの認知の限界から発生しています。パワハラで訴えられた上司は皆「厳しく注意はしたがパワハラの自覚はなかった」と言っています。ところが言われた側からするとその叱責は刃の様に突き刺さっているわけです。

ここで大事なのは、上記の「認知の限界」の説明の通り自分の与えた影響について鈍感であるというだけでなく、実はそこには「自分という存在が相手にそんなに影響を及ぼすわけがない」といったリーダー(指導者)自身のセルフイメージが強く影響しているということです。 この説明ご理解頂けますでしょうか?

 ※セルフイメージ・・・「自分自身はこういう人間」という風に無意識で定義づけている自己評価の事

上記のパワハラを例にとりますと、リーダーである自分が例えば50歳の企業の部長としましょう。そしてパワハラ被害者のメンバーが25歳の平社員とします。リーダーである自分と自分自身のセルフイメージは当然50年間共にしてきているわけですから「等身大」です(本当は等身大よりもイメージが低い方が多いですが後述します)。自分が自分自身の存在を偉大なものと感じ畏れを抱くような人は普通はいないでしょう(笑)。ですから自分自身の厳しい叱責に部下の心が病んでしまったとしたら「何であれだけの事で?」と思います。何故かと言うと等身大の自分からは「あのくらいの事を言われても普通だ」と感じているからです。ところがメンバーからしたらそのリーダーである自分は「大先輩」であり「偉大な上司」であるかもしれません。「怖い上司」かもしれません。つまり「畏れ」の存在です。このことに鈍感になってしまっているのです。

つまり自分自身は25歳のメンバーにとって「畏れの存在」であるにもかかわらずセルフイメージはそれを素直に認めません。私もそうでしたが日本の社会人は(といっても海外の社会人を取材したことはありません。あくまでも感覚です。すみません)本当にセルフイメージが低く、「自分なんてまだまだ…」みたいな感覚を持ってらっしゃる方々がほとんどではないでしょうか?文化的には「謙遜の美徳」とでもいうのでしょうか?この辺りが根底にありますがその短所がこのセルフイメージに明らかに悪影響を及ぼしています。自分自身のイメージは謙遜を通り越して卑下して自己評価している方がほとんどです。つまり「自分は周りに影響を与えられるような大きな存在ではない。ちっぽけな存在だ」といった自己評価です。

こういった例を挙げますと、実社会の会社で威張り散らしているリーダーは自信満々に見え「セルフイメージが高いのでは?」という意見があるように思いますが、実際は逆です。威張る・怒鳴る・部下を攻撃するタイプのリーダーはほぼ例外なくセルフイメージは低いです。表層意識とは裏腹に、潜在意識領域では自分自身に自信がありません。【強い態度をとる】のは【周りから強く見られたい】という願望から。そしてそれは【自分は本当は弱い】というセルフイメージがあるためです。威圧的な態度をとる方は【そのような態度を取らないと周りを従わせられない】と感じているからです。攻撃=恐れの裏返しという事です。

少し話がそれましたが、このセルフイメージをどう整理していって、どのように期待の告知に繋げるかといったあたりを次回ご説明していきたいと思います。