おはようございます。個人面談で相手が委縮せず本音を語ってくれる前提が出来たら面談の内容に入っていきますが、ここでの重要なポイントは「自分の頭できちんと考えさせること」になります。ここは簡単なようで実はとても難しい項目です。なぜか?それは大人子供に限らず「全社会的(全国的)に思考停止状態が蔓延しているから」です。ですからこの項目は正に拙著を通じて私が訴えていきたい最重要項目になっています。

今の日本社会は本当に便利な社会と思う反面、「何と思考をストップさせる社会なのだろう?」とも最近強く思っています。比較的朝の時間を使ってこのブログを書くことが多いのですが、流れているTVは本当に各局同じテーマばかり。政治問題などは解説者が自らなのか局の意向なのかはわかりませんが「この首脳の発言の意図はこうだ」とか、とにかく懇切丁寧に解説してくれます。そして意図的か否かはわかりませんが「一連のストーリー」になるように構成されています。そしてその流れは報道番組であれワイドショーであれほぼ一緒の様に感じています。視聴者はTVを見て考えるのではなく言われたことをそのまま受け入れる様にどうしてもなってしまいます。結果的にその番組終了時には「被害者可哀そう!」「犯人憎い!」「政治家汚職ひどい!」などなど番組の狙い通りの感情に仕上がってしまいます。ネットはどうか?一たび何かの商品やカテゴリーを検索すると次にPCを開いた時からは頼んでもいないのにそれに関連した広告が出現します。ヤフーやグーグルなどのニュースも「どのニュースをクリックし詳細を閲覧したか?」によって次回以降カテゴリーの出現傾向が変化しますよね。我々が依頼もしていないのに趣味、性向、イデオロギー等をAIが分析し次回以降我々に最適な画面を提供しているという訳です。今「AIが人類の仕事を奪う」と言われていますが、私は個人的にそれよりも「AIが人類から思考を奪う」事の方を心配しています。まあ、個人的な意見ですが…

こんな状況の世の中ですので、やはり吹奏楽部員の生徒さんだけでなく、立派な社会人であるはずの仕事のメンバーでも面談し、その発言を聞いていますと「それはあなたの考えですか?それとも誰かに言われた考えですか?」と疑問に思うことがとても多くあります。先生・上司や先輩に言われたことに疑問を挟まずただただ実行する。これはこれで場面によっては必要なことかもしれません。しかしそればかりで過ごしていくと「考え工夫する習慣」は育たないように思います。私の好きな言葉に「守-破-離」というものがあります。最初は言いつけを守ることがとても大事ですが、思考停止の状態ですと最も大事な「破」のシーンがやってこないように感じています。

では、どのように投げかければ思考の起動につながるのか?このあたりから次回テーマにしていきたいと思います。